男性への憎悪と私がしてきた養護施設での逆レイプ

逆レイプ

〔体験談投稿者:茉利子 様〕

私は北国のとある町で、宗教団体が主催する養護施設の責任者を長年引き受けておりました。
今年の10月で退任した60歳の今、そこでの出来事をこの場でお伝えすることで自分の行為を懺悔したいと思います。
よろしくお願いいたします。

施設は、家庭で一緒に生活できない高校までの男女を収容していたのですが、昼間の生活と食事、就寝するまでの生活は共同で本棟で過ごします。
就寝の時になると、生徒たちは生徒の精神的安定を図る目的で、隣接された職員の公宅(当然家族で入居している家庭のみ)で就寝することになっていました。
ただ、日常的に子どもとは言っても、他人と過ごすことは職員たちに負担となっていましたので、夏休みなどの長期休業期間は、親類宅などで預かってもらうことになっていました。
しかし、その時にどうしても事情で行き先のない生徒が必ず出てきます。
私は、その期間中に生徒を自宅に引き取って面倒を見ることにしていました。
特に男子の場合はターゲットと目をつけていた子を、必ず自宅で預かって逆レイプしていました・・・。

正直に告白すると、過去何人か男の子を獲物に定めて、自分の思いを遂げてきました。
その中で一番印象に残っている子のことを告白します。
その子は、今から18年前に両親が列車事故で亡くなってしまい、母親方の親類に引き取られていたのですが、その親類も病気で世を去ってしまいました。
結果、唯一の身寄りを失ってしまい、彼(Sと仮に呼ぶことにします)は様々な事情と相まって、中学3年の晩秋に私の施設にやって来たのでした。

Sはすぐには心を開こうとしませんでしたが、私は可能な限り彼の話を聞きました。
すると、次第に自分の黒い欲望が頭をもたげてきたのです。
Sは中学生にしては大人びた表情をしていました。
また、痩せすぎず、太りすぎずの体形。
美少年ではなかったのですが、何か寂しさを常に感じさせ、母性本能を刺激されていました。
彼は地元の定時制高校に入学したいという希望を持っていたので、私が高校に出向いて前向きな返事を得たことで、実行を決意しました・・・。

冬休みに入り、Sの担当する職員が不在となる12月28日の夜、彼は私の公宅にやって来ました。
Sは最初戸惑っていましたが、テレビやPCも自由に使えるとあって、喜んでいました。

雪が降り続く町で年越しも二人で過ごして、明日再び担当職員宅に戻る前日の夜、Sが風呂に入ったのを見計らって行動を始めました。
脱衣室のカギを10円硬貨でこじ開け、彼の衣服を隠しました。
そして、Tシャツとスパッツに着替えると、風呂の入り口の横に隠れました。

「あれ?着替えが・・・」と戸惑っているSに襲いかかりました。

私は学生時代に少林寺拳法をかじっていて、大人の男性とでもほぼ対等に組み合うことができます。
いくら力強い高校生の男の子と言っても、身体の自由を奪うことは簡単なことでした。

「先生、何するんですか」

背後から押さえつけられた彼は苦しそうに呟きました。

「先生、S君を一度抱いてみたいの。私の言いなりになれば、あなたが行きたい定時制高校の推薦を中学校の先生に話してもいいわ。将来の見通しも立つでしょう」

私は静かにSに諭しました。

「でも、もし言うことを聞かなかったり、逆らったり、今日のことを他人に話そうとするなら、今すぐあなたをここから追い出してもいいのよ」

私の言葉に、Sは身を固くしました。

「今、外は-10℃くらいで、明け方には-20℃くらいになるでしょ。このまま裸で裏山の林の木に縛り付けてしまえば、凍死してしまうでしょうね。誰もこの辺りにはいないし、大声を上げても誰も気付かない・・・」

事実、職員たちは帰省先から戻っておらず、私の公宅以外人影は皆無でした。

「私の言う通りにすればいいだけ。良いわね」

Sは身を固くして、頷きました。

素早く下腹部を覆っていたタオルを剥ぎ取りました。
そして、そのまま素裸のSをリビングへ連れていくと、Sの股間を掴みました。

「大人しくしていれば、痛い思いはしないから」

私はそう言い放ち、テーブルの脚に両手を縛り付けました。
口を粘着テープで塞いでしまうと、カーペットに横たわったSは私の自由になりました。
怯えきっている顔、微かに震えている身体、何が自分の身に起こるのか恐れている姿・・・。
私は淫靡な欲望を爆発させました。
彼の首にタオルを巻き付けました。

「足を開きなさい。そして、絶対に逆らわないこと。そうしないとタオルで首を絞めちゃうよ」

Sは首を縦に振りました。
私はスパッツとTシャツを脱ぎ捨てると、彼の分身にしゃぶりつきました。
ジュバジャバと音を立てるうちに、私の口腔はSの肉棒で一杯に・・・。
苦しそうな表情でうめき声をあげるSを見ると、私の膣は疼き始めました。
怒り立つ分身を手でさらに刺激すると、私の膣にSの分身を挿入して腰をくねらせ始めました。
次第に頭に淫欲が走り始めました。

忘れかけていた刺激が私の身体を貫くと思わず、「いいぃー。S君、力強い」と叫んでいました。

彼も次第に刺激が伝わってきたのか、塞がれた口から「うー」という声が漏れ始めました。

小刻みな震えが大きな動きに変わるとともに、私の膣内に暖かい感覚が広がりました。
Sは射精すると同時に、私の膣から分身を外そうとしましたが、私はそのまま腰を足で押さえつけてそのままの体勢を保ち、彼の精液を私の子宮に全て受け入れたのです・・・。
呆然とするSの顔を眺めながら、二人の体液まみれのSの分身を私は再び口腔に含みました。
すると私の刺激を感じたのか、勢いを取り戻し始めました。
彼の口を覆っているテープを外すと、強引に唇をこじ開けて舌を入れ込みました。
もう彼は私の成すがままです。

「私が良いと言うまで、言いなりになるのよ」

もう一度、私はSを脅しつけると、クンニさせるために私の局部を彼の口に押し付けました。

「舌で舐めるのよ。噛んだりしてはだめ」

新たな刺激が、私の下半身を覆い始めました・・・。
その後は若い肉体を弄んで三度射精させるとともに、アナルへのペニスキャップの挿入、そして陰毛剃りで終わるまで、彼の身体を嬲り尽くしたのでした。

学生時代、私は部活動の後、大学の体育棟のシャワールームで何者かにレイプされました。
男たちは私の身体を嬲りつくすと、様々なものを局部に押し込みました。
その結果、私は子供を産むことができない身体となってしまいました。
その時から、男性に対する憎悪が消せなくなってしまったのです。
その屈折した思いは弱い立場の男性へ向きました。
私が感じた経験した思いを、自分が自由になる少年を蹂躙することで晴らすことに・・・。

この後、彼は私の性奴隷として、高校卒業まで三年間を過ごしました。
高校一年生の夏休みには、夜明け前に彼を起こして、素裸で緊縛したまま車で隣町との境である森の渓流で、私と裸で戯れさせました。
また、高校二年生の春休みには私の公宅のバスルームで、緊縛したSとふらふらになるまで行為を重ねたのです。
このような行為で、S君を含む5人の男子を慰みものとしてきました・・・。

最後に告白できて、正直ほっとしています。
昨日、私はステージ4の肝臓ガンの診断を受けて、あと4ヶ月の余命と宣告されました。
私のしたことは決して許されることではないと理解しています。
しかし、同時に私をレイプした男たちへの代替行為としての復讐を遂げられて、今の私には悔いはありません・・・。

逆レイプ

Posted by 茉利子